歴史好きアイドル乃木坂46・山崎怜奈が語る『明智光秀が殿を務めた〝金ヶ崎の退き口〞とは』─NHK大河ドラマ「麒麟がくる」
歴史好きアイドル乃木坂46・山崎怜奈が語る
■想像しながら、新たな発見を
合理主義者として伝えられる信長の精神は、現代にこそフィットするものなのだろう。金ヶ崎の戦いについての考えも聞いた。
「『麒麟がくる』の作中でも、戦が始まる前に、秀吉を若狭の鯖売りに変装させて、京に送り込んでいましたし、それが史実に基づいたものなら、かなり綿密に計画されていたのではないかなと。京には色々な地方の人々が集まるので、訛りの異なる秀吉がいてもなんら不自然ではないはずですし。金ヶ崎城に関してですが、三方を海と断崖絶壁で囲まれた山城なので、攻めづらい一方で守りづらくもあったはず。手前にある支城の天筒山城の方が標高も高いので、簡単に攻められちゃいますし、実際そうだったようですね。なので、守る側としては頭を使わなくてはいけない戦だったのではないかなって思います。そう考えると、信長がこの城を捨てて逃げるのも納得ですし、そもそもここに本陣を敷いたことが、ケアレスミスだったとしか……」
金ヶ崎城は、驚くほど簡素な構造をしていたと考えられている。当地を訪れた者は往時の姿が想像し難い、自然そのままの姿に改めて驚くのだが、山崎さんは、そこに魅力を見出す。
「たしかに堀切や月見御殿跡など以外は、遺構もあまり残っていませんが、敗者の歴史は残らないのが世の常。それでも、この場所でどんな戦が行われたのかが後世まで伝わっているという事自体が、すごいことですし、それは地域の方々がご尽力されているから。素晴らしいことだと思います。それに残っていないからこそ、想像の余地があるわけです。例えば、縄張りから時代予測もできますし、そういう意味では想像し甲斐があって、面白いですよね。今の時期なら紅葉も楽しめるでしょうし、若狭街道周辺まで足を伸ばして、鯖街道を辿ってみるのも楽しそう。皆さんも自分自身が信長となったと仮定して、城を攻めつつ、さらに逃げるというところまでを想像しながら、この地を歩いてみてください。きっと新たな発見があるはずです!

朝倉義景将軍家・公家ともゆかりある北陸の盟主であった朝倉家の当主として信長と対決。写真/心月寺蔵

お市の方夫・浅井長政の裏切りを「両端を結んだ小豆袋」で兄・信長へ伝えたという逸話を残す。写真/持明院蔵

城跡内に立つ金崎宮の〝難関突破守〟

金ヶ崎の戦いの地図朝倉義景の本拠・一乗谷を攻めるため、信長が本陣を置いた金ヶ崎城にて背後を浅井長政に突かれ窮地に追い込まれる。織田信長/アフロ、浅井長政/持明院蔵、地図/アトリエ・プラン